「ドント・ルック・アップ」(Don't look up: 2021, Netflix)

ブラック・コメディー映画
◆オススメ度(★〜★★★★★):★★★★

 

ドント・ルック・アップ

 
◆概略:
 ポスドクの若手研究者(ローレンス)とその指導教授(ディカプリオ)は,ある日,巨大隕石が地球に向かって接近しつつある事実を発見する。この巨大隕石が地球と衝突すれば,地球は滅亡する。Dデーまであと6ヶ月と14日しかない。彼らは,大統領やメディアに訴えてこの危機を脱する対策を講じるが,無視され,嘲笑の的にされる。彼らのように真実に向き合う人々は少数派であり,一方で,大統領・メディア・財界・大衆は陰謀論と利害に明け暮れる多数派だ。少数派の意見に多数派が耳を貸さなくなった時,人類の滅亡さえ招きかねないことを,この映画は皮肉たっぷりに教えてくれる。
 
 ◆見どころ:
  1. 大統領を演じるメリル・ストリープの演技は,まるで女版トランプだった。
  2. エンドロールの途中と最後に,スピンオフとして,大統領とその秘書官の怖くて明るい末路が暴露される。

「あなたがチョ・グク」The Red Herring(그대가 조국: 2022年5月公開)

◆オススメ度(★〜★★★★★):★★★★

 

◆概略:

イ・スンジュン監督は,制作意図について「チョ・グクを擁護しようとして作った映画ではない」,「チョ・グクは自らが手続上,公正性に反したことを認めている」,一方で,それを糾弾した「検察と言論も,捜査の過程で手続上のルールに違反した」ことを明らかにしたかったと述べている*1

ルールを違反した一方だけが社会的な制裁を受け,もう一方は公正・正義の守護者の仮面を被るのは,健全な民主主義国家のシステムを破壊する行為であり,陰謀である。

この陰謀が,保守政党・検察・保守メディアの連携によってどのように張り巡らされたのか,チョ・グク陣営の目線から検証したのが,この映画である。

 

 ◆見どころ:

個人的には,統一教会系のメディア『世界日報が,検察の圧迫聴取内容をいち早く受け取りチョ・グク側に不利になるようまとめて報道した経緯が,聴取を受けた当人によってリアルに語られていたところ*2に気づきがあった。現在の日本で明らかになった旧統一教会の政治との関わりとオーバーラップして,韓国でも統一教会がメディアを通じて保守政治に深く入り込んでいる現状の一端を垣間見た気がした。
 

◆背景知識:

2019年8月,チョ・グク前民政主席秘書官が,当時の大統領ムン・ジェインにより法務部長官候補に任命された。時を同じくして,野党(保守党)と検察(ユン・ソクヨル検察総長)は保守系マスメディアを動員し,「チョ・グク事態」と呼ばれる一連の反チョキャンペーンを展開する。野党は,チョの政治生命を断つことで,与党「共に民主党」及びムン大統領に打撃を与えようとした。一方,検察は,自らの権力弱体化を招きかねない検察改革を掲げる,チョの法務部長官就任を断じて阻止しようとしていた。

メディアは,それまで清廉潔白な「進歩」派リベラリストと目されていたチョ・グクに,投資・高等教育・就職等において特権を最大化しようとする貪欲な偽善的政治家としてのイメージを上塗りした。

タッグを組んだ野党・検察・メディアは,常軌を逸した方法で,チョとその家族のスキャンダルを増幅させ,起訴によって社会的地位と名誉を剥奪した。罪状それ自体は,大規模な不正ではない。ただ,いずれも社会倫理的に公憤を掻き立てる材料であったことは否めない。主たるは,チョ・グクに関しては,賄賂授受,公職者倫理法違反等であり,大学教授であった夫人に関しては,娘の表彰状偽造,私募ファンド運用における「横領」等であった。

結局,チョ・グクは8月9日に法務部長官に就任したものの,勢いを増す反対キャンペーンにより,わずか35日で退任を余儀なくされた。

この後,検察総長であったユン・ソクヨルは保守党「国民の力」から大統領選に立候補し,僅差で大統領に当選した。彼は検察の権力を温存し,検察関係者を側近に据えて国政を指揮している。人事面で検察関係者を優遇する政策や,外交面での失策,党内部に対するリーダーシップの欠如などが次々と顕になり,ユン大統領の支持率は,5月就任時の53%から8月現時点24%に急落している*3

 

 
 
 
   
 
 
 
 
 

「Sweet Home -俺と世界の絶望-」Sweet Home(스위트홈: 2020年: Netflix Original)

韓国傑作ドラマ批評(12)
◆オススメ度(★〜★★★★★):★★★
스위트홈메인포스터고화질

◆概略:

  韓国Webtoon(ネット漫画)<스위트홈>が原作のクリーチャー(怪物)ものホラー/ヒューマンドラマ。
舞台は、「グリーンホーム」という名の寂れたマンション。ある日、家族を交通事故で亡くし孤児となったヒョンスが、「グリーンホーム」に引っ越してくる。そこで彼は、怪物化したマンション住民が次々と人間を襲うのを目の当たりにする。怪物化の原因は、正体不明・経路不明のウィルス感染らしい。まもなくヒョンス自身も、大量の鼻血と昏倒といった感染者特有の初期症状に見舞われる。しかし、ヒョンスは完全には怪物化せず、マンション住民たちと行動を共にする。彼らの人間としてのサバイバルが始まった。
 
 ◆登場人物:
  主な登場人物は、自殺願望をもつ引きこもり少年、ヒョンス(송강:ソン・ガン)、殺人請負業のサンウク(이진욱: イ・ジヌク)、特殊部隊出身の消防隊員イギョン(이시영:イ・シヨン)等。他にも主演級の登場人物が5人ほど居て、それぞれの背景が丁寧に描かれている。

 ◆怪物と監督:
 (1)怪物
  ウィルス感染後、怪物になるかならないかは、自分の中にある欲望をコントロールできるか否かにかかっている。この倫理的な要素ゆえに、この作品はただのジャンルとしてのクリーチャーものを超えたヒューマンドラマの性質を帯びている。欲望に身を委ねてしまうと、欲望が人間の身体上に発現する。それが怪物化だ。欲望は人それぞれ異なるので、自然、怪物の姿形も多様になる。もし彼らに欲望以外の感情が残っていたなら、グロテスクな怪物の姿が、自らの欲望の結晶である事実にこの上ない羞恥心を感じたであろう。
ダイエット中の女性が化した食欲怪物は、手当たり次第に何でも食べようとする。入院中の患者が化した吸血怪物は、目の前の人間の生き血を吸い取る。職場のストレスを抱え込んだまま怪物と化した「蓮根」頭のサラリーマン怪物は、目が見えないが鋭い聴覚を頼りに人の気配を察知し、その気配めがけて体から棘を伸ばし滅多刺しにする。まるでストレスを解消するかのように。筋肉と運動に執着していた人間から化したと思われる筋肉隆々の巨大プロテイン怪物は、手当たり次第に住民をぶん殴り踏みつける。他にも、蜘蛛怪物、陸上選手怪物等が、次々と住民たちの行く手に立ちはだかる。
しかし、中には人を襲わない怪物もいた。事故で亡くした赤ん坊への未練を断ち切れないでいた母親は、胎児怪物に化すと自らをトイレに閉じこめた。液体怪物(なぜ液体かは不明)は、子供を危機から救ったが、恐怖に駆られた大人たちによって焼き殺された。
ヒョンスは、自身の怪獣化を意志の力で抑えることができる「特殊感染者」*1となっていた。だが頼みのヒョンスにも、ある時点で精神的バランスの崩壊が訪れる。それは、外部から侵入してきた別の特殊感染者ウィミョンが、マンション住民たちを殺戮し始めた時であった。怒り猛ったヒョンスは、巨大な鋼鉄の翼を肩から突き出して、ウィミョンを抱き込み消滅させた。身体の一部を怪物化させたヒョンスは理性を喪失し、住民にまで襲いかかろうとする。そこに、誰かが身を投げ出した。一番最初に、目玉怪物からヒョンスを救ってくれたドゥシクである。ドゥシクの犠牲によって、ヒョンスは悲しみの感情と理性を取り戻す。
 
 (2)監督
  監督は、「学校2013」や「太陽の末裔」のイ・ウンボク。この監督の美点は、圧倒的な映像美、そして旬な俳優たちから最高の演技を引き出すディレクションのうまさ。ここで起用された新人や、まだそれほど有名でなかった俳優たち(例えば、イ・ドヒョン、コ・ミンシ、パク・キュヨン、キム・ナムヒ)は、これ以降、再評価されスターダムにのし上がっている。
 
  ◆Sweet Homeが投げかけているメッセージ:
  ヒョンスという存在は、世界を単純に二分法で理解することの不可能性を訴えかけている。人間か怪物かで区別できない、人間の心と怪物の力をもったヒョンスという中間的な存在が、二分法を否定する。ここでいう人間の心は、怪物の心と対極にあるものとして浮かび上がる。怪物は、自分の欲望に呑み込まれ、ただただ自分の欲望に従って行動する存在だ。だから怪物の心は、欲望そのものだ。そのような怪物の心から区別される人間の心とは、自分の欲望をコントロールし、周りの人を思いやる心となる。しかしこれは、姿形とは無関係だ。怪物の中にも人間の心をもった怪物はいたし、人間の中にも、他人を犠牲にしてまでも自らの欲望にしがみつく怪物の心をもった人はいる。共同体から隔離すべきは、姿形の違いではなく、怪物の心をもったあらゆる生き物なのだ。姿形は、人種や民族、ジェンダー、障害者差別を想起させる。だからこのドラマは「差別主義者を共同体から追い出せ!」というメッセージを含んでいる。この意味で、オカルト的Sweet Homeは、倫理的な気づきを与えてくれる良質なドラマと言えよう。
   
 
 
 
 
 

*1:15日間の初期症状期間を過ぎても変身しない一方で、怪物がもつ驚異的な再生能力(=不死身)を身につけた人間。

個人的嗜好による韓国ベストドラマ選(2022年8月時点)

自分の備忘録ですが、よかったら参考にしてください。

批評を書いた作品に関しては、リンクが付いています。

 

  1. 「私の解放日誌」My Liberation Notes(나의 해방일지: 2022年: jtbc/Netflix
  2. 「二十五、二十一」 Twenty Five, Twenty One (스물다섯 스물하나: 2022年: TvN/Netflix)
  3. 「その年とし、私わたしたちは」Our Beloved Summer (그해 우리는:2021~2022: SBS/Netflix )
  4. Sweet Home -俺と世界の絶望-」Sweet Home(스위트홈: 2020年: Netflix Original)
  5. ハイエナ-弁護士たちの生存ゲーム-」Hyena(하이에나: 2020年:SBS/Netflix
  6. サイコだけど大丈夫」It's Okay to Not be Okay(사이코지만 괜찮아:2020年:TvN/Netflix
  7. 愛の不時着Crash Landing on You(사랑의 불시착:2019年:TvN/Netflix
  8. 眩しくてDazzling(눈이 부시게: 2019年: JTBC/Netflix
  9. サバイバー: 60日間の大統領」60 Days, Designated Survivor(60일, 지정생존자: 2019年:TvN/Netflix
  10. ここに来て抱きしめて」Come and Hug me(이리와 안아줘: 2018年: MBC/Netflix
  11. マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜My Mister(나의 아저씨: 2018年: TvN/Netflix
  12. ただ愛する仲 Rain or Shine (그냥 사랑하는 사이: 2017年: JTBC)
  13. キルミー・ヒールミー」Kill me, Heal me  (킬미 힐미: 2015年: MBC
  14. ゆれながら咲く花(学校2013)School 2013(학교 2013: 2012年: KBS)
  15. トキメキ☆成均館スキャンダルSungkyunkwan Scandal(성균관스캔들:2010年:KBS)
  16. 明日に向かってハイキックHigh Kick Through The Roof(지붕뚫고 하이킥: 2009年: MBC

 

 

ソン・ガンと「ナビレラ -それでも蝶は舞う-」,2021年3月〜2021年4月,TvN/Netflix

韓国傑作ドラマ批評(11)
◆オススメ度(★〜★★★★★):★★★★

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ナビレラ(2021)

◆概略:
韓国Webtoon(ネット漫画)<나빌레라>が原作のヒューマンドラマ。
主な登場人物は、デビューを目指している青年バレリーノ、チェロク(송강:ソン・ガン)と、彼のマネージャーをする代わりに、個人レッスンを受けることになった老人トクチュル(박인환:パク・インファン)。青年と老人はバレエを介して世代を超越した友情を育み、互いに支え合いながら、自己の外延を拡張していく。
 
主演男優の#パク・インファンは、2021年時点で75歳と高齢にも関わらず、老体に鞭打って初めてバレエを習いながら役柄を完璧に演じ切った。母性本能をくすぐらせるチャーミングな表情や仕草ゆえに、ドアップで映し出されても目が楽しい。このような可愛い老人になりたいと思わせてくれる、魅力的な人。
 
もう一人の主演男優、#ソン・ガンについては、筆者の思い入れが強いので、以下に別途項目を設けて熱く語りたい。
 
 ◆ソン・ガン(송강)の魅力:

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ソン・ガン(写真の出典は Namoo Actors)

#ソン・ガンは、このドラマのために約半年間バレエを特訓して撮影に臨んだ努力家の26歳。身長185cmで肩幅が広い逆三角形のスリム体型。この美しいフィジカルを完成させているのは、芸術的な顔だ。これまた逆三角形の滑らかなフェイスライン、濃淡な表情を映し出す奥二重の目、そして大きくて厚いセクシーな唇は、無表情でいる時はクールで無機質な雰囲気を醸し出す。しかし、一旦その顔に感情が吹き込まれると、少年のような純粋であどけない表情が放出される。完璧なフィジカルと少年のような表情との間の奇妙なアンバランスが、彼の魅力を際立たせている。
個人的にここ最近で最も注目している俳優の一人がソン・ガンなので、彼の魅力をまとめてみた。
 
(1)作品ごとに成長する演技力:
  2019年の「悪魔がお前の名前を呼ぶとき」(TvN)では、泣くシーンで必ず下を向き今から泣きますよ的なポーズを取ったので、いささか興ざめしたものだった。しかし、2020年の「スイートホーム」(Netflix)では、まっすぐ対象を見つめながら自然に涙をぽろっと落とした。見ている方ももらい泣きしそうなくらい、泣く演技が美しかった。
 
(2)意外に(!?)広い演技の幅:
  「悪魔が...」(2019年/TVN)の時は、天使のような優しい性格でいつもニコニコしていて、ちょっと空気が読めないタイプを生き生きと演じ、泣くシーン以外は違和感がなかった。(デビューは2017年の「彼女は嘘を愛しすぎてる」(TvN)だが、2018年までの演技は、お遊戯っぽくて批評の対象には入れたくない。)
主演をつとめた「Sweet Home -俺と世界の絶望- 」(2020年/Netflix)では、自殺願望をもつ引きこもり青年を演じた。本人も、ここでの演技が一番気に入っている、とインタビューで話していたが、私も同じく。最初から最後まで笑顔を封印し、ほとんど話さず、背中を丸めていてもなお、純粋で気高い魂の叫びが瞳を通して伝わってきて、強烈な存在感を放っていた。
一番最近の作品「ナビレラ -それでも蝶は舞う-」(2021年/TvN/Netflix)では、年長者を前にした韓国人とは思えないほど生意気でツンデレなチェロクを演じたが、このようなキャラも今まで演じてきた人物とは全く異なっていたので興味深かった。しかし芸術家の卵であるチェロクの性格に、そんなに怒りっぽくて礼儀知らずな側面が備わっているのかという解釈を巡っては、見ている側としてはなかなか受け入れられなかった。
 
(3)華麗な外見とは対照的な愚直な内面:
  ソン・ガンには、Yoo Teoに通じる「少年美」がある。最近YouTubeで、NYを拠点に写真作家として活躍したNikki. S. Leeが、どうやって11歳年下の夫Yoo Teo(俳優)の「少年美」を守ってきたのかを知った。ドイツ語、英語、韓国語が堪能なTeoは、10年間の無名時代をNikkiに支えてもらい、今や全世界を舞台に活躍する俳優となった。今年40歳になるTeoには、確かに「少年美」と形容可能なピュアな瞳と貴公子然としたオーラが漂っている。少年美とは、自分の価値観を社会の価値観で汚さずに保持することなのかな、と思う。TeoはNikkiの庇護の下、仕事がない間も自己研鑽に時間を使うことができた。庇護する側より受ける側の方が、より苦しかったはずだ。それでも愚直に自分の信じる道を貫き通して、自分の中の最も美しい価値観を守り通した。
ソン・ガンも、「外見第一主義」という支配的な大衆的価値観の中では、トップクラスの美貌をもっていながら、自分の外見がもつ強みに目もくれず、俳優としての実力を磨くことに愚直に向き合ってきた。その姿勢が、彼の瞳の彩光に表れているのではないかと思う。「ナビレラ」の制作発表会で、パク・インファンの妻役を演じたナ・ムンヒ(나문희)は、ソン・ガンの明るくて清らかで愚直な面が彼を稀有な存在としており、今後も変わらなければいいとコメントしていた。私も、同じことを祈っている。
 
  ◆ナビレラが投げかけたメッセージ:
他者同士である若者とシニアに向けて、他者と交わることで、自分の中にある無限な可能性を引き出すことができるのだよ、と優しく背中を押してくれるかのような作品だった。特に、社会における自分の立ち位置を見失って精神的に放浪しているシニアにとっては、行動に向けて一歩踏み出す勇気をもらえる作品だったのではないだろうか。
나빌레라 사제 듀오 포스터
 
 
 
 
 
 

ブライアン・リトル「あなたは本当は誰なのか?性格の謎」TED 2016(Brian Little, Who are you, really? The puzzle of personality, TED2016)

 
リトルさんの報告に触れて、自分自身の性格に対する理解が深まった。
私はあまり外に出るのを好まないが、一旦外に出るとその環境(人や社会)を楽しむタイプだ。
そのためほとんどの友人は私を愉快な人間、外向的な人間として認識している。
私が自分の内向性を告白しようものなら、彼らはそれを冗談のように受け止める。
私は自分には何らかの二面性があるのだと思っていた。
しかしこの二面性のメカニズムは不明であった。
 
そこに今日、一縷の光が差した。
リトルさんによれば、人間は大別すると外向的な人と内向的な人とに分かれるが、
そのような区分を超えたところに、その人の個性(ideosycracy)が表れる。
人は、外向性や内向性ゆえに相手を愛でるのではなく、その人の個性ゆえに、その人を愛でる。
外向性や内向性は、当人の活動、パーソナル・プロジェクトに従属する。
パーソナル・プロジェクトが当人に外向性を要求するなら、当人は外向的に振る舞う。
一方でパーソナル・プロジェクトが当人に内向性を要求するなら、当人は内向的に振る舞う。
重要なのは、人間の活動なんだ!
 
ここまで理解した後で、改めて自分自身の性格を振り返ると、やはり私のベースは内向的な性格であり、だからリトルさんのように外向的に振る舞った後は、クールダウンするための、あるいは自分自身に戻るための時間が必要だったんだと、悟った。本当に外向的な人は、そんな時間は不要だからね。
私は、私が内向的な性格なのが嬉しい。
最近、私の中で、内向的な人に対する評価が上がっているからだ。
私もそういう人たちの輪に入れるよう、これからも自分の内向性を磨いていきたい。
もちろん、より重要なのはパーソナル・プロジェクトだ。
パーソナル・プロジェクトと自分の性格とをうまく、無理なく、均衡させていきたい。
 
出典はこちら
 
 
 

追記:映画「パラサイト」と私のモヤモヤと日本社会(2020年3月)

2019年11月に私は映画「パラサイト」の感想を書いた。実は、モヤモヤしていた。
 
 
その後、今年にかけて「パラサイト」がヨーロッパとアメリカでそれぞれ名誉ある映画賞を受賞するなかで、たくさんのレビューや批評が発表された。その中に、私のモヤモヤの原因に気づきを与えてくれた面白い論評*1があったので、それに触発された感想を追記しておく。
 
この映画は、最後に、主人公の半地下の家族の幸福や成功ではなく、彼らのさらなる墜落を見せつけて終わる。だから、意識的にせよ無意識にせよ、ストーリーに自分の感情のカタルシスを求める人たちにとっては、モヤモヤが残る結末となっている。しかし、私は自分が感動しなかったから、モヤモヤしたわけではない。むしろ、あの利己主義の塊の主人公たちが最後に成功や幸福を勝ち取ったら、それこそ社会正義や道徳的観点からも正しくないわけで、もっとモヤモヤしていたことだろう。実際、貧乏人がいくら金持ちを出し抜こうとしても、金持ちエリートが設計した社会システムの中で生涯バレずに金持ちに寄生しつづけるのは至難の技だ。だから、彼らは墜落してこそ、この世界の現実をよりリアルに反映することになるのだろう。
 
私のモヤモヤの原因は、「自分たちだけでなくみんなで幸せになる方法を模索するしか、人間らしく生きる道はない」という、自分が出した当初の結論にある*2。そうは言ったものの、みんなで幸せになる方法なんてあるだろうか? 少なくともこの結論を書いた時点では、その具体的な方法を思い描けていなかった。

 

事実、人の幸せを自分の幸せと同じくらい重要視できる人は、あまり多くない。それができる人は数で言えば、圧倒的なマイノリティだろう。またほとんどの人は自分より社会的経済的レベルの高い人との平等は望むが、低い人との平等は望まない。だから、映画の中の半地下の家族と地下の家族は、地上の家族に対して連帯することができず、むしろ貧乏人同士で、自分がありつくパイを巡ってゼロサムゲームを展開する。
 
さらに絶望的なのは、最下層の地下の家族は、最上層の地上の家族に対し、半地下の家族のように軽蔑や怒りの念を抱いておらず、むしろ憧れの念を抱いているところにある。この問題は、心理学でよく論じられるが、境遇や環境が近いもの同士はライバル意識によって互いにいがみ合うが、遠いもの同士はそうはならず寛容になるのだそうな。SNSや各種ネットニュースのコメント欄に群がるネトウヨ連中が、ホリエモン百田尚樹のようないわゆる社会的、経済的成功者に憧れの念を抱いたり、あるべき「日本人」像を自分と重ねるのも、そういった存在や像が自分とは大きくかけ離れた存在だからこそなせる妄想なのだ。
ほとんどのネトウヨ層は相対的な弱者であるにも関わらず、より脆弱な立場にある外国人、障害者、女性が自らの権利を主張しようものなら、寄ってたかって叩く。自分のパイが減ったり立ち位置が犯されることを恐れているのだ。このように、弱者同士でいがみ合う状態を是とするのが、欲望のままに行動する「自由」を至上(そして市場の)価値とするネオリベラリズムであり、私たちは今、その社会の中で生きている。
 
ネオリベラリズムは欲望を充足する自由を至上価値とする。それを、個人的に唯一の最高の道徳、正義として内面化している人がいる。そういう人の間から、映画「パラサイト」のような不幸が起こる。みんな不幸にはなりたくはないだろう。ならば、ネオリベラリズムを最高の価値、道徳、正義の位置から引きずり下ろさなくてはならない。どうやって? 人権をその位置にすげ替えることで。人権はほとんどの国ですでに憲法レベルで保証されている、人間らしく生きる権利であるが、それにもかかわらず、学校や職場での人権侵害、いじめがなくならないように、人権はいまだに最高の価値、道徳、正義として、十分に社会システムの中に組み込まれていない。学校や職場、自治体等のあらゆるの場で、金儲けよりも人権を上位に据える実践に取り組まなければならない。
 
しかし、法律や行政レベルでの人権擁護の実践は、コスト、すなわちお金がかかる。お金が介在すると、有権者は人権よりもお金になびきやすい。だから、できるだけお金のかからない方法で、人々の(理性でなく)感情に最高の価値、道徳、正義としての人権意識を埋め込む必要がある。どうやって?文化で。
 
ネット上の言論空間も一つの文化であり、また「パラサイト」のような、人々にネオリベラルな社会の悲惨な現実を見せつけてくれる映画も一つの文化である。文化の創造と享受を通して、楽しみながら、人々がより幸せに生きられる人権理念を感情面で育んでいくべきである。
 
だから、政治は、文化の自由な発展をお金で押さえ込まないでほしい。また、その政治を排他的な方向ではなく包摂的な方向へと舵取りする権力は、民主国家においては、有権者にあることを強調したい。